元顕正会員のゆるめなブログ

顕正会に5ヶ月だけ在籍していました^^;

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信仰を持たない方の言い分

最近、自分の周りに無宗教の友人が増えてきています。

当然のことながら「日蓮正宗の仏法が道理の上でも一番正しいんだよ^^」と

伝えているのは言うまでもないのですが、

どうやら無宗教の方々の宗教観は

「すぐに戦争を起すから嫌い!」なんだそうです^^;
(おいらの周りだけかもしれませんが・・・)

宗門は護法の為に戦うことはあっても、

決して自ら争いを仕掛けてはいかないことは分かっているのですが・・・

皆さんはその部分に関しては無宗教の方に対してどう諭されていますか??
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テーマ:宗教 - ジャンル:学問・文化・芸術

リスナーの方へのお伺い^^ | コメント:7 | トラックバック:0 |
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コメント

どんなに正しいと話しても、相手に自分が幸せに変わった姿を認めてくれない限り
宗教キチガイだと思われれても仕方ないです。
彼らは宗教の話をされると危険人物だと先入観を持って接してきます。
焦らず強引にならず、彼らが宗教の話を嫌がったら話を止める。
これ以上、強引に話をしたら法を下げ、正宗で活動する人のイメージダウンにつながります。
純粋な心で信心を実践すれば、相手にこの仏法で幸せになれたと認めてくれ話を聞いてくれました。
顔相が凛々しくなり変わった言われました。
2010-04-17 Sat 09:22 | URL | 佐伊党 [ 編集 ]
ユタさん、こんにちは。
ようするに、結局日蓮正宗の主張は自分の登山道しか正しい道はない、この道しか頂上へ通じていないという主張なわけですね。
僕も法華講員ですが、僕の考えは正宗とは違っています。
でも、なぜ正宗にいるかといえば「縁」だからです。
正宗に縁したことを大切に思っているからです。
これがほかの宗派に縁していれば、それを大切に思って行くことでしょう。
御教示ありがとうございました。では。
2010-04-16 Fri 10:14 | URL | 太っ腹 [ 編集 ]
どの登山道も、頂上に繋がっているとは限りません。哀しいかな、日蓮正宗ルートしか頂上に辿り着けないという考え方なのです。他の危険ルートからのルート修正は可能のため、そこに至る道が「それぞれ違う」と申したまでです。私とて崖から転落コースを歩いてきましたが、中には最初から安全ルートを通ってきた人もいるわけで……。そういうことですよ。
2010-04-16 Fri 07:46 | URL | ユタ [ 編集 ]
ユタさん、こんばんは。
僕が言いたい登山口とは、いろいろな宗派のことです。自分に合った登山道と言ったのは全部頂上につながっていて、無理をしないで安全に到着できる登山道のことを前提にして書いています。
僕が言いたいのは、最後は同じところに着くじゃないか、それぞれみんな好きな道を歩いてくればいいんだよ、ということです。
僕の思うには、結局正宗では一つしか登山道を最終的には認めていないということになっているのではないでしょうか?、ということです。
ユタさんは「登る道は人それぞれ違う」と言われますが、この言葉の意味がわかりません。
正宗でも登る道がそれぞれ違っていいと言っているのでしょうか?
どういうことがおっしゃりたいのでしょうか?
お教えいただきたいと思います。
正宗ではみんな同じ道を行きましょう、と御教えになっていると僕は受け取っているのですが、間違っているのでしょうか?間違っているのであればどうかご教示願いたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
あと、登山道が途中でふさがっていたり、ロープウェーが切れていたりするのは、主に新興宗教のエセ教団のことと理解しました。これにつかまってはいけませんね。これにつかまらない方法は、新書や文庫で宗教の歴史や、お経がいつ書かれたか、などが書いてある本を読むことだと思います。安価できちんとした内容のものがありますから、ぜひ読むことをお勧めします。
2010-04-15 Thu 22:36 | URL | 太っ腹 [ 編集 ]
 僭越ながら私からよろしいでしょうか?登山口やロープウェーの例え話が出てきたので、日蓮正宗法華講員の役割を1つ。登山口やロープウェーの中には、利用できるものとそうでないものがあります。Aというルートを通ったら崩壊していたかもしれませんし、Bというロープウェーを利用したら途中でロープが切れたということもあるかもしれません。そういった危険なルートが、邪教なのです。法華講員は、「このルートは安全ですよ」と教えているだけなのです。登る道は人それぞれ違うのですが、ミスコースをしないようにリードしてあげるのが日蓮正宗です。
2010-04-15 Thu 21:11 | URL | ユタ [ 編集 ]
太っ腹さんに大賛成。
2010-04-15 Thu 18:16 | URL | mac [ 編集 ]
モト・ケンさん、こんにちは。
僕の友人も無宗教です。でも1人は禅宗に墓があります。でも、座禅を嫌っている様子です。ほかの友人は宗教の話は嫌いなようです。でも、先祖のお墓はあるはずですが。「戦争をするから嫌い」ですか。外国の宗教のことを言っているのでしょうか?日本でも昔は比叡山の圧力で各宗派がやられましたね。宗教は山に喩えて僕は考えています。宗派の違いは登山口の違いで、険しい登山口からロープウェーまであって、人によってその人に合ったものを選べばいいと思うんです。でも人間は自分の選んだ登山口が一番いい、正しいと他人に強制するわけです。そしてそこで喧嘩を始めてしまいます。でも、目的はその山の頂上に行くことですから、登山道は頂上へ行くための手段です。それを強制するのは手段を目的にしてしまっていることになると思います。結果としてみんなで頂上の眺めを見ることが大事な目的なのに人間はそれをはき違えて、手段を目的にしてしまうものだと思います。
「戦争をするから嫌い」という人はそういうところを言っているのかなと思いました。
でも、この考えは日蓮正宗の考え方ではないですね。
正宗はこの登山道しか正しい道はないという考えですからね。でも、ぼくは人によって登る道は違うと思っているのです。
2010-04-15 Thu 16:37 | URL | 太っ腹 [ 編集 ]

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