元顕正会員のゆるめなブログ

顕正会に5ヶ月だけ在籍していました^^;

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ちょっと真面目に破折してみます(笑)

前回のメタボニュースの内容があまりにもつっこみどころが

満載なので今回はあえて真面目に破折してみるとします^^;


「正系門家の異常事態が亡国を招く」

この理由を血脈相承の授受不能をあげたり、得意の御遺命違背を引き合いにだしているが

まず、血脈相承の授受不能だったとされる御相承についての理証をあげてみる。

この血脈相承の授受不能という謀りは、ご存知の通り学会や正信会が作り上げた

とんでもない言いがかりである。

生前、日達上人は「私の後は、阿部教学部長にやらせようと思うから、後見を頼みますよ」と山崎正友氏に仰せになられている。

それ以前に、御相承の儀式は公に行われる場合もあれば、行われない場合もあることを

顕正会員は知っていてこのような謀りを口にしているのだろうか??

たとえば、宗祖日蓮大聖人様から日興上人、日興上人から日目上人への御相承については

公けの儀式があったという記録は残っていない。

むしろ、宗門の歴史の中では、公けの儀式はなかったケースの方が多い。

要は御先師上人が時期法主として決定された、その御意思が大事なのである。

日達上人の場合も、日顕上人を第67世として選ばれ、唯授一人の相承を与えられたのだから、なんら、問題の無い話である。

そのことに関しての文証がこの文章である。

顕正新聞・平成5年1月5日号(新春座談会)
「戒壇の大御本尊様は一日として付属の人の空白ということがない。またこの付属に付随して「金口の血脈」もなくなることはない。何代・代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝わるように出来ている。これが御本仏の御仏智なのです。だから御相承の儀式のあるなしは、本質的にはまったく問題ない。断絶などはあり得ないのです。」

これを見ても一目瞭然、過去の浅井会長が現在の自身を破折してるではないか。

さらに得意の国立戒壇に関する御遺命違背についても、以下の文証が存在する。

[富士]昭和40年7月 第24号11P
「妙信講(顕正会)は、正本堂建立に際して『正本堂建立に御供養申し上げるのは、千載一遇の大福運。全講中挙げで、正本堂建立の御供養に赤誠を』
『いよいよ戒壇の大御本尊様が民衆の前にお出ましになる』

このように浅井会長が発言しているが、富士24号の内容からすると、

浅井会長は"正本堂が御遺命の戒壇"と言っているように受け取れるが?

昭和47年・日達上人の正本堂建立に於ける訓諭
「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳奉るなり」と仰せである。

そして顕正会員にも分かるであろう日寛上人は『依義判文抄』に、
「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し」(六巻抄82)
とも仰せであるがこれをどう解釈すると現在の顕正会の指導にあるのか、疑問である。

さらに第六十世日開上人は御宝蔵説法において、

「その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山事の寂光土」と指南されている。

近年では、昭和47年3月26日、日達上人が正本堂の意義についての指導会の折に、

「この本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」(大日蓮315-23)

と明らかにされたように、本門戒壇の大御本尊まします処が「事の戒壇」なのである。

そしてさらに、『一期弘法抄』の「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべき」、また『三大秘法抄』の「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法を申すは是なり」と示される「戒壇を建立」ということについて、日顕上人は平成5年の虫払大法会において、

「本門の本尊、妙法蓮華経の広宣流布が時至って、正道・正理の上に条件的に具備した時、戒壇を建立するところに、本仏の志し給う『事の戒法』が成就するのであります。すなわち、この一切は御仏意であり、これはさらに、のちの『一期弘法抄』に本門戒壇の建立につき、二祖日興上人に遺命されるところであります。したがって、この戒壇建立は、大聖人の御仏意による終窮究竟の厳然たる御指南であり、いやしくも凡夫や一信徒が知ったかぶりして、軽々にロに入れ、論ずべき法門ではありません。もし、そういうことがあれば、これは本仏のお心を踏みにじる大謗法であります」(大日蓮567-45頁)

と御指南されておるが、これは何を意味するか??

要は、宗門における「事の戒壇」義は、終始一貫しており、在家の我々はおろか一在家の浅井が疑義を差し挟む余地は全くない。

顕正会浅井の基本的な誤りは、大聖人の御書の意を自分勝手に判断するところにあるのであり、これは師弟子の道を違える謗法である。

時の御法主上人が血脈所持のうえから御指南・裁定されたことに信順していくところに、日蓮正宗の信仰があるのである。



と、まぁ、こんなもんですかね??

見出しのちょっとした文章でもこれだけ破折できるんですから

哀れとしかいいようがないです・・・

どうか間違いに気がついてほしいと思います。




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暴露と個人ネタ | コメント:4 | トラックバック:0 |
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コメント

 実は「顕正会『試練と忍従の歴史』」を読んでから、上長に聞いてみたことがあります。内容は正に、ひろりんさんが仰った通りです。そしたら上長は、「細井管長は最初から御遺命破壊をしていたわけじゃなく、登座直後はちゃんと御遺命を堅持していたんだ。本を読んで気づいたと思うけど、その頃の妙信講も御遺命破壊前は『日達上人』と呼んでるでしょう?日淳上人ですら、まさか細井管長が御遺命破壊をするとは思わなかったのだろう。それは日淳上人の責任じゃなく、全ては第六天魔王其の身に入りし池田大作が全ての元凶だ」と、答えていました。あの頃は物凄く納得していたので、今でも鮮明に覚えていますよ。
2010-02-08 Mon 13:34 | URL | ユタ [ 編集 ]
ユタさ~ん

一番コメあざざ~すwww

ユタさんのおっしゃる通り、顕正会しか知らない人はその辺の知識が浅井教本からしか入らないので、かなり間違った認識しかもっていないんですよね^^;

しかも、それを認めようとしないのも特徴のひとつだと思います^^;

ひろりんさ~ん

お気遣いありがとや~す^^¥
これはこれでシンプルかつかなり効果的だと思いますよ^^
いざというときに使わせていただきます^^
2010-02-08 Mon 13:18 | URL | モト・ケン [ 編集 ]
「じゃあ、顕正会員が尊敬する日淳上人は、どうして、日達上人に御相承されたのかな?」って、聞いてごらん。

お寺で、こう言われたんですが、不適切な場合は、このコメント削除してください。
2010-02-08 Mon 11:52 | URL | ひろりん [ 編集 ]
 私もそうでしたが、顕正会畑しか歩いたことの無い人は法主が御相承は「公にするもの」というのが「当たり前」だと思っている人は大勢いますよ。「非公式」の方がおかしいということですね。浅井会長の折伏理論書では、御隠尊猊下に日達上人から内承させたという状況証拠すらないと書いてありますからね。この辺は学会問題のゴタゴタのせいであるとも思えます。正信会として独立してしまった元宗門僧侶ですら、その前から御隠尊猊下は「学会べったり」と陰口を叩いていたそうですから、ましてや在家の法華講員である妙信講もそう見てしまい、斜め上から見た結果、「御相承を受けた痕跡が無い」としてしまったのでしょう。折伏理論書では、御隠尊猊下があまりにも学会寄りだったために日達上人から叱責を受けていた旨が書かれています。だから、相承を受けるはずがないなどと言っているわけですね。しかし折伏理論書は、あくまで浅井会長の視点で書かれたものです。しかもそれは、「平均的な法華講員の視点」ともまた違うものですから、独断と偏見に満ちているのは言うまでも無いでしょう。だから信用できないのです。この辺、大事ですよ。顕正会を脱会したいのに、二の足を踏んでいる人の手を引く所でもあります。
2010-02-08 Mon 10:54 | URL | ユタ [ 編集 ]

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